僕の夏休みを救ってくれた「ポケットモンスター」

1996年の夏休み

小学五年生、一学期の終業式。僕は関東地方のド田舎から東海地方のクソ田舎へ「転校」しました。
親の転勤。よくある都合、よくある友だちとの別れなど、そんなに珍しくもない経験した10歳の少年は、7月下旬から二学期の始業式までの約一か月半、おばあちゃんちで過ごすことになりました。

おばあちゃんちは山の中にあります。朝は昆虫採集、昼は川でカメを採って遊びました。
…余談ですが、大人になった今は昆虫もカメもニガテになってしまいました。
特にセミ。今住んでるマンションは校庭が目の前にあり、夏の夜になるとセミが集まってきます。
姿の見えないセミは突然鳴いて飛ぶから本当に怖い。引っ越したい。笑

話を1996年の夏に戻します。
まだ友だちのいない僕は、弟とよく遊びました(というか遊び相手が弟しかいなかった)。
8月の弟の誕生日。誕生日プレゼントはゲームボーイブロスとポケットモンスター赤・緑。
そう、なぜか兄である僕の分もポケモンを購入してもらいました。
今思えば、友だちのいないさみしい夏休み、親も不憫に思って買い与えたのではないかと思います。
親の立場になると、少年時代に自分がされたこと、してくれたことの意味が分かるもんです。

ポケモン赤とポケモン緑。弟がどちらを選びたかったのかは定かではありませんが(聞いてないし)、 絶対的な兄の権限でポケモン赤を手に入れた僕と、ゲームボーイブロスは赤なのにポケモンは緑をプレイすることになった弟。
一体誰の誕生日プレゼントだったんだろうか。23年の時を経て謝罪します。すまん。

ポケモン(と弟)と過ごす夏休みは、一気に世界が広がりました。
朝の昆虫採集も、こいつが進化したらどうなるんだろうとか、こいつとこいつを戦わせたらどっちが勝つんだろうとか。
昼の川遊びも、野生のカメをゼニガメと命名し、やけくそ気味に乱獲しました(が置き場所がないのですぐ放流しました)。
この町の向こう側には、一体どんな町が広がっているんだろう。
この山を越えたら、きっと知らない世界がまだまだ広がっているんだろう。
ポケモンの世界で世界の広さを知った僕は、現実世界のありとあらゆる出来事に広さを感じました。

この頃は今ほどポケモンのグッズもありませんでしたが、 ガチャガチャで出ていたソフビ人形、めちゃくちゃ小さいダイキャスト製のフィギュア、ステッカーシート、 遊び方が分からなかった最強シール列伝(今でもわからん)、下敷き(アニメ絵の)、 ポケモンカードゲーム(最近またやり始めました)、プラコロ(これも遊び方がよく分からんかった)などなど、 お小遣いの許される限り、夢中になって買い集めました。

夏休みが終わり、二学期の始業式

そしてあっという間に二学期の始業式。
僕にとってはド田舎からクソ田舎に引っ越しただけでしたが、 クソ田舎の小学五年生には「関東地方から来た」は「東京から来た」とほぼ同義だったらしく、東京に住んでいると毎月ディズニーランドに行けるのか、道ばたで芸能人に会えるのかなど、 仮に東京に住んでいたとしても「行かないし会わないッスよ~~」と言いたくなる質問攻めに遭いました。(この誤解は後々解消されていくことになります。笑)

そんな軽い文化の違い(?)に戸惑いを覚えましたが、ポケモンは共通言語になりました。

夏休み中に殿堂入りし、ミュウツーを捕獲し、図鑑をコンプリートし、近所の図書館でパソコンを覚えてネットを利用して知ったバグ技でマスターボールを増産し、 交換中に通信ケーブルを抜いてミュウツーを増やす荒業を実行しパーティー全てミュウツーLv100にしていた僕は、あっという間にヒーローになりました。

勉強はできない、運動はもっとできない。
でも、ポケモンの話が出来る。ポケモンの絵が描ける。ポケモンの対戦で勝つことが出来る(さすがにパーティー全てミュウツーで対戦はしなかった。笑)。
ポケモンは、夏休み中の僕の世界を広げてくれただけでなく、 転校生としての僕の、新しいスタートの手助けもしてくれました。

変わる世界

小学校を卒業し、中学生になった僕たちは、まだポケモンに熱狂していました。
1999年11月、ポケットモンスター金・銀発売。たった3年間ですが、この頃の3年間は永久にこない未来のように長く感じました。
コロコロコミックで小出しにされる情報にウキウキし、64マリオスタジアムのポケモン対戦コーナーに応募し(ハズれましたが)、 ポケモンスタジアム64、ピカチュウバージョン、ポケモンカードGBとスピンオフ作品もドップリ遊び尽くしました。
金銀は銀を選びました。ホウオウかルギアか、中学二年生が好きそうなデザインはどちらかと問われれば、やはり周りも銀が多かったように記憶しています。
(そして自動的に弟は金をプレイすることになりました。20年の時を超えて謝罪します。すまん。)

中学三年生になり、修学旅行で職場体験をすることになりました。僕たちは当時まだ日本に一か所しかなかったポケモンセンターに職場体験の依頼を出しました。
結果はOKを頂き、レジ、商品の陳列などを体験させて頂きました。おみやげに缶バッジを頂きました。
好きなポケモンを選んでくださいね!と言われ、ストライクの缶バッチを頂きました。このストライクの缶バッチは今でも大切に持っています。

更に三年後、2002年、ポケットモンスタールビー・サファイア発売。
当時高校二年生になっていた僕は…バイトと麻雀に明け暮れていました。笑
高校に入学し、環境も変わり、麻雀を覚え、その魅力に憑りつかれた僕の周りには、いつしかポケモンはいなくなっていました。
あれだけ夢中になって熱中したポケモンは、ゲームボーイと共に勉強机の引き出しの奥の奥で深い眠りについてしまいました。

四年後、2006年、ポケットモンスターダイヤモンド・パール発売。僕はポケモンに戻ってきました。
デザイン系の専門学校へ進学した僕は、課題と単位とバイトシフトを投げ捨て、友だちとポケモンバトルに精を出していました。
バトルの為に過去作であるルビー・サファイアも購入。
しかし課題も単位もバイトシフトも全て、投げ捨てたはいいが、ほねブーメランの如く自分自身に返ってくるもの。
ポケモンに熱狂したあの頃、赤緑~金銀のような情熱は湧きあがりませんでした。

四年後、2010年、ポケットモンスターブラック・ホワイト発売。
既に社会人として会社の歯車になっていた(今もなってます!)僕は、今いる会社がブラックなのかホワイトなのかを一考し、ブラックを購入しました。
専門学校時代の友だちとも卒業と共に縁が切れ、誰かと対戦したり、交換したりが楽しめない環境でプレイするポケモンは物足りなく、 ブラック故に仕事に追われ、深くやり込みプレイもすることもなく、後続作品のブラック・ホワイト2もプレイすることはありませんでした。

子どもの頃のこと また思い出せるように

2016年11月、ポケットモンスターサン・ムーン発売。
結婚し子どもも生まれ、会社でもそれなりの役職で働いていた僕は、サン・ムーン発売前の「ポケモン20周年作品」、「初代のポケモンが数多く出る」という情報をキャッチし、 しっかり予約してサン・ムーンのダブルパックを購入。ソルガレオの猛々しさにグッと来たのでサンを選びました。
この頃はもう弟が犠牲になることはなく、代わりに嫁さんは自動的にムーンをプレイすることになりました。ムーンがいいと言っていた(気がする)ので、まあWIN-WINだった気がします。

サン・ムーンは熱中しました。
初代ポケモンが姿を変え出てくる点(アローラのすがた)、初代御三家とまた旅が出来る点(もちろんサン・ムーンの御三家もかわいい)、 わかりやすいストーリー、南国の世界観、新しい仲間たち、新しいポケモンたち。
すぐに図鑑をコンプリートしました。ネット対戦は少しやりましたがボッコボコにされてしょんぼりしました。

またポケモンセンターにも行くようになりました。
子どもと一緒にぬいぐるみやグッズを買いに、ほどよいペースで通いました(今も継続中です!)。

そして2017年6月。いつものようにポケモンセンターへ遊びに行ったとき、店内BGMで流れていた曲の一節がアタマの中に飛び込んできました。
この曲は当時アニメのEDだった、岡崎体育さんのポーズという曲でした。

♪出会えてよかった キミに決めてほんと良かった
思い出たくさん ポケットにぎゅっとしまいこんだら
手を取り合って歩こう 苦しいときも一緒だよ
大人になったときに またここで会えるように

「ポーズ」 作詞・作曲:岡崎体育

お店のど真ん中で、涙がこぼれおちました。

僕がポケモンから離れていた期間、僕の周りからポケモンがいなくなった期間も、 ポケモンはずっとここで、待っていてくれました。

♪出会えてよかった キミに決めてほんと良かった
笑顔になれるよ さあずっと手をぎゅっと繋いでいよう
立ちどまっていいよ 大丈夫だよ振り返れば
子どもの頃のこと また思い出せるように

「ポーズ」 作詞・作曲:岡崎体育

僕はポケモンに感謝しています。
その気持ちを忘れていたことに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、 同時に、いま僕の子どもが夢中になっていること全て、絶対に無駄にはならないから、全力で好きになればいいと思いました。

忘れてしまってもまたいつか思い出す。
大人になったとき、また再びあの頃のポケモンに再会できたこと。
世代を超えた作品だからこそ、また出会うことができた。

これからも僕は、僕の夏休みを救ってくれたポケモンたちと共に生きていくんだと思います。

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